「命への門」ヨハネの福音書10章1~6節

青森ジョイフルチャペル

わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしも彼その羊たち知っており、彼らはわたしについて来ます。

【ヨハネの福音書10章27節】 

聖書において羊は人間のことを指しています。なぜなら、羊という動物は武器をもっておらず、おろかであり、羊飼いがいなければどうすることもできない点が人間に似ているからなのです。
ヨハネの福音書9章には目の不自由な人の目が開かれた奇跡が記されています。しかしここで律法学者は安息日にイエス様が奇跡を行ったことを非難します。目を開くわざを行うものはメシヤといわれていたのですが、律法学者は律法の枠にとらわれてしまっていたのです。このような人を聖書は「門から入らず、ほかのところを乗り越えてくる者」というのです。私たちはほかのものにとらわれるのでなく神様を見上げていくものでありたいです。
10章4節には「羊たちはその声をききわけます」とあります。この声とは聖霊によってわたしたちが聞くイエス様の声を指しています。どんな状況であってもその声を聞くことで、私たちのうちに喜び、希望が生まれるのです。
また「牧者たちは自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します」とあります。名前を呼ぶということはユダヤ人においては非常に特別な行為を指します。名前を呼ぶこととは、その相手の味方であることを意味します。
ルカの福音書のザアカイとイエス様の関係においても、イエス様は木に登っているザアカイの名を呼び、ザアカイの家に泊まられました。その夜、ザアカイはお金が一番の人生から悔い改め、主と歩む人生を始めることが出来ました。なぜならイエス様に名を呼ばれたからなのです。

そして今日も神様は私たちの名を呼んでおられます。わたしたちはイエス様についていくことで豊かな人生を勝ち取ることができるのです。そしてこの豊かさはイエス様によってのみなのです。さらにこの恵みを証していくものとなっていきましょう。

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