「主の慰めに満ちた教会」 コリント人への手紙 第二1章1~7節

青森ジョイフルチャペル

私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
【コリント人への手紙 第二 1章 3節】

 日本語には2つの「そうぞう」力があります。見聞きしたことのないものについて考える想像力と、新しい何かを創り出すための創造力です。イエス様は前者の想像力を大いにもっておられる方でした。ルカの福音書7章11節〜17節でイエス様は息子を亡くしたやもめをかわいそうに思われる描写があります。自分と全く異なる状況のやもめの悲しみを想像し、自分のもののように感じておられるイエス様の心がここに表れています。その後やもめの息子は主の奇跡により生き返ります。人の痛みを我がもののように感じるという心が主の奇跡に繋がったように、私たちもこの心をもつ時に主の素晴らしい御業がなされるということを受け取りたいと思います。

コリント人への手紙Ⅱ1:3で神様は「慈愛の父」と表現されています。思いやり、憐れみ、慈しみの父という意味です。また「慰めの神」いっさいの励まし、勇気づけの源であられる神であると聖書は語っています。このような神様と出会えたことを感謝します。主は私たちに慰めを与えていてくださいます。またその慰めをあらゆる人に流していくことを望んでおられます。多くの人の救いを願う時、私たちは主に祈ります。しかしその時神様は私たちの行動を通してそれを行おうとしてくださるのです。そのような慰めに満ちた教会となって生きたいと思います。
(メッセンジャー:澁谷友光牧師 要約担当:竹浪麻央)

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